映画・テレビ

「牛の鈴音」を見てきました。

近くの映画館で上映中の韓国映画「牛の鈴音」を見に行ってきました。

韓国映画の主流はスターに負ぶさった映画が殆どだけど、この映画

はただ、79歳になるもうかなりヨボヨボになった貧しい農夫と、これも

同じくらいに年老いた牛との生活を静かにゆっくりと追っているだけ。

彼の口やかましい妻のぐちで状況がつかめる。

P2010_0702_152501_2 場所は慶尚北道の山間の集落。バック

でカッコウが声高に鳴き、夜にはコノハ

ズクがよく鳴いていた。他にもいろいろ

な鳥の声が入っていて、何年か前に彼

の地でバードウオッチングの旅をした時

のことを思い出した。韓国の農村はほん

とに美しい。この映画で改めて認識した。

それにしても良質のドキュメンタリーは見るものに深い感動を与える。先日

BSで見た「李先生と30人の子供たち」という番組もほんとに良かった。

フィクションではなく事実を確かな眼で写し取るということは強い力で見るも

のの心をつかむ。

「ポー川のひかり」を見てきました。

P2010_0209_202402 2006年 イタリア映画

今ようやく我が地方で上映されているこの映画、東京に住む娘

が以前見て、ブログで紹介していたので、是非見たいと待ってい

た映画。監督はエルマンノ・オルミ。だいぶ前に「木靴の木」という

作品があるというのだけど、残念、題名は知っているけど見ていな

い。

 ボローニャ大学の歴史図書館の古い書籍に埋まりながらただ

本の中に自分を閉じ込めている大司教、そんな生き方からの解放

を宣言するかのように古書に釘を打ち込み、大学を後にする若

い前途有望な哲学教授。「野をわたる風、驟雨、岸辺を包む光、炎

のゆらぎ、夜の水面の静謐‥‥」そんなポー川の岸辺の自然の中、

村人からキリストさんと呼ばれ、素朴な交流を通して絶望から立ち

直っていく様がだんだん明るく柔和になっていく表情に浮かび上が

っている。

オーシャンズ

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映画はしばらくご無沙汰していたけども、ジャック・ペラン監督のこの

映画は見逃すわけにはいかぬと、近くの映画館に出かけた。入った時

は観客は私一人、そのうち3人入場。隣で上映している「おとうと」はテレ

ビの宣伝力かかなりの人が入っていた。

海ってなんだろうという素朴で根源的な問いかけで始まった画面は、見

るものをひきつけ、最後まで目を逸らせない迫力に満ちていた。何より

波の躍動がすごい。そして海に棲む生物に寄せる、ジャックの優しさ、理

解する心が共感出来て、感動を生む。生きていくため、種の存続のため

に自分より弱いものの犠牲の上に命は繋がっていく。でもそれはちゃんと

バランスを保っていたが、ここ7,80年の間に人為的に壊されてしまいつつ

ある。今いろんな場面で目にする悲劇的なこの惑星、守らなくてはと誰もが

思いつつ、どうにもならない。加害者でしかないホモサピエンス。

素敵な映画を観て来ました。

ジャック・ペラン監督の「幸せはシャンソニア劇場から」を観に行き

ました。かって観た彼の映画「コーラス」に劣らない感動を得ること

が出来ました。1936年ころの時代背景。世界恐慌の波の中で、そ

してファシズムの台頭が忍び寄るそんなパリの下町で、人々に夢

と生きる希望をと、必死で灯をともし続けようとささえ続ける仲間た

ちの生き様をあたたかく描いています。ジェラール・ジュニョは「コー

ラス」、「パテイニョールおじさん」でもおなじみの名優。大好き。

帰路の車の中で友と語ったのだけど、日本人とフランス人のファッシ

ズムに対する考え方、対応の大きな違い。体制に容易に流されて一

色に染まる民族と、多様な考え方があって当然で、それもインテリだ

けじゃなくシソウとかガクモンにあまり関係ない人々が自己の信念を

きっちり持っている民族。この違いは何ゆえなんだろうか。いくつか

観てきたパリ解放を描いた映画をもう一度観てみたいものです。

チェチェンへ 

昨夜、「チェチェンへ アレクサドラの旅」を見てきた。

おばあちゃんが戦地にいる孫を訪ねた旅を、ドキュメンタリータッチ

で描いているのだが、花1本咲いていない荒涼としたチェチェンの

大地、さらに先の紛争で廃墟となった町でいつも戦闘と隣り合わせに

しか生きていく道のない人々。アレクサドラは孫が除隊した後‘殺す‘

以外に何ができるのか疑問に思う。「破壊ばかりで、建設はいつ学ぶ

の?」と思わず訊いてしまう。「男同士は敵同士になるかもしれない。

でも私たちは初めから姉妹よ」と話すチェチェンの女たち。

戦争のむなしさ、愚かしさをずしんと問いかけてくる。